Made in Japanを捨てろ

ガラパゴスソフトウェアについて、日頃感じていることを自戒も含めてもう少し書いて見る。
数年前、外国人特派員協会で、北城さんのセミナーがあった。まだ、北城さんが経済同友会の代表幹事をしていたころだ。自分は留学経験があるので、英語のプレゼンということでまわってきたのである。北城さんは、流暢な英語でわかりやすい話をしてくれた。確か外国人の記者の質問に答えたのだと記憶をしているのだが、その質問も思い出せない、しかし、北城さんが話した回答はハッキリと覚えている。それは、「日本の消費者は世界で1番厳しい。だから、日本で受け入れられた商品は、必ず世界でも受け入れられる。」もちろんMade in Japanの事だ。高い品質の物は何処でも受け入れられる。私はそれは正しいと今も思っている。しかし、日本で受け入れられた携帯電話が何故世界では受け入れられていないのか?
20年ほど前の事である。フロリダ州にあるフロリダ工科大学にいた。その当時日本では新車を買う時にはカタログベースで買うのはもう当たり前であった。皆さんもご存知のように、ディーラーには試乗車があり、興味のある車を運転させてもらう。しかし、買うのはその車ではない。買うのはカタログから、色やオプションを選択して、何ヶ月後かに納品される車である。もちろん、自分も当時はそれが当たり前だと思っていた。しかし、アメリカでは違った。自分は貧乏学生だったので新車なんて変えなかったが、友人が買うのについて行った。そうすると、新車と書いてある車が何十台も置いてあった。もちろん、それぞれは少しずつ違う。その中から自分の好みに一番合う車を見つけて、試乗させてもらう。そして気に入れば手付金を渡し購入して、紙のテンポラリーのナンバーをつけて乗って帰るのである。
どうもアメリカ人は、自分で確かめないと気に入らない様である。メーカーを信頼して確かな物が納品されるという考えがあまり無いようだ。
今はどの様になっているのかは定かでは無い。しかし、2、3年前、某自動車会社のシステム部長に聞いた時、アジアでは、20年ほど前のアメリカと同じ仕組みである為、日本のシステムをそのまま持ち込めないと言っていた。
消費者のニーズは国によってまちまちである。だからこそ最大公約数をまず考えないとダメなんだろうと思う。最小公倍数を求めるのではなく、最大公約数だ。
様々な日本企業のソフトウェアを見て来た。品質は高い。もちろん、品質が高いのはいいことだ。しかし、先進性を犠牲にしているものもある。価値感は国によってかわる。先ずはJapanese Standardつまり、Made in Japanをすてる事から始めてはどうだろうか?